楔 -4-
程なくステーションの外壁に到着した。透視で、間違いなくここが連絡船の倉庫だと確認する。
外観から想像した以上に、内部は壊れてはいなかった。食料も物資も、ほとんど手付かずに残されているコンテナがたくさんある。
人類軍にさえ見つからなければ、他のエリアも探索しながら当分はここで過ごすことができる。
アルタミラを脱出して以降初めてのオアシスの出現に、自然と頬が緩んだ。
ハーレイに中の様子を伝えると、彼の喜びに満ちた思念が伝わってきた。
「さっそく入れそうな場所を探しましょう」
ハーレイはロープを結び直して、僕たちを繋いでいたフックを外した。
僕が身体に巻き付けていた分のロープも、特殊な結び目を作ってしっかりと外壁のケージに結ぶ。
「二手に別れましょう。私は時計周りに行きます。中に入れそうなポイントを見つけたら思念波で呼んでください」
「わかった」
今度こそ慎重にしなくては。
僕はハーレイと反対の、右辺ブロックへと進み始めた。
アルタミラの収容所の廊下を彷彿させるような、鈍い光を放つ継ぎ目のない外壁が続いている。
途中に大きなクラックがいくつかあったが、どれも身体を入れるには幅が足りなかった。
亀裂をサイオンで広げられないかと一瞬考えたが、先ほどのようにこちらが弾かれてしまう恐れもあったし、なるべく施設は壊したくなかった。
少し手を入れさえすれば、ここで生活をすることができるのだから。
あの閉鎖された宇宙空間に暮らすことは、たとえ命と引き換えの行為だとしても、精神的肉体的に虚弱なミュウにはもう限界が見えていた。
「ブルー!こちらへ来れますか?」
ハーレイの思念が届いた。
「今行く!」
ロープをたぐりよせながら外壁を地に見立てて、サイオンを使って蹴り上がる。
無重力で放物線を描くようにして、僕は支点から大分進んでいたハーレイの頭上にひらりと舞い降りた。
「あなたは…相変わらず無茶をしますね!」
少し非難の交じったハーレイの声に、僕は素直に反省した。ハーレイに助けてもらったのはさっきの今だというのに。
「すまない…つい興奮してしまって」
すると彼は苦笑しながら、
「いえ…あなたがそうやって感情を出せるようになることは大切なことですから」
と言うと、浮いていた僕の身体を外壁へと促した。
チクリと胸を刺す何かを感じたが、決して不快な感覚ではない。
僕は今、心の中でどこかこの状況を楽しんでいる。
そんな自分に驚きながらも、思念はしっかりと遮蔽した。こんな浮き足だった感情を、ハーレイに知られたくなかった。
目の前のクラックは、縦に大きく裂けて中の様子がよく見えた。
僕たちの船の半分程はあろうかという広く高い天井の部屋には、一つのコンテナもなければ物自体がまったく存在していなかった。
この破れ目から流れ出ていってしまったのだろうか。
「私の身体は入りませんが、あなたならおそらく…」
たしかに僕なら、頭のドームがなければ十分入れる幅だった。
「もう少し先まで行ってみたのですが、一番大きいクラックはここでした。本当は一旦ロープをほどいて先を探索したいのですが…
それには酸素を補給しに船に戻らないと」
そんなもったいないことをする気はさらさらなかったので、僕はクラックに入る意思を彼に伝えた。
それに対する彼の反応が、少し遅れた。
思念が微妙に乱れている。
「…ブルー、サイオンのバリアで頭にシールドを張れますか?」
やったことはなかったが、できるよと答えた。彼が不安におもっているのが伝わってきたから。
安心させたくて、気が付いたらそう口にしていた。
「中で…必ずどこかで外壁のロックが外せるはずです。もしも見つからないときは必ずここに戻ってきてください」
僕は軽く手を上げて了解すると、そのままシールドを頭部に張りドームを外した。
サイオン越しに見る視界はドームをかぶっていたときとはまったく違い、光の反射で見えなかったハーレイの顔も見ることができた。
「ほら、大丈夫」
と軽く微笑む。
でも彼のガラス越しに見えたのは、どこか具合でも悪いのかとおもうほど青ざめて思い詰めた表情だった。
「ハーレイ?」
思わず手を伸ばして触れた腕から、遮蔽をしない彼の心が流れ込んでくる。
『どうしてブルーばかりが、いつもいつも危険な目に遭わないといけないんだ!』
僕を案じる強いおもいが一気に伝わってきて、思わず彼の腕を払ってしまった。
わずかに触れていた指先が熱を持ち、ヒリヒリする。
「ブルー?」
驚いた表情を浮かべた彼が差し出した手から逃れるように、僕はクラックへと身体を滑りこませた。
「ブルー!」
僕を呼ぶ声と思念が、耳に届く。
だがそのまま這うようにして壁際に身を寄せると、彼の死角へ逃げ込んだ。
ブルー、ブルーと僕を呼ぶ声が、思念が頭の中にこだまする。
遮蔽をしたいのにうまくいかない。
僕のおもいは、彼とは違う。
彼のやさしい感情に触れただけで、こんなに愛しくて、切なくて、さみしくて、泣きそうになるんだ。
胸が熱くて、熱くて、痛い。
あのひとの残した感情が僕を内側から焼いて、この身体を支配しようとしている。
お願いだから今は収まってくれ。彼を失望させたくないんだ。
こんな大事なときに、どうして…!
僕はその場で両肩を掴んだままうずくまった。
助けて。
助けて。
誰か僕の中の楔を抜いて。
生きるのは、誰かのおもいを身に宿すとはこんなに苦しいことなのか。
アルタミラで受けたどんな肉体的精神的苦痛とも違う、堪えがたい感覚。
なま暖かくねっとりとした熱を孕む何かが、まるで頭から足指の先まで、低温の炎をまとい皮膚を舐めていくようだ。
息をするのがひどく苦しい。
頭部に張ったシールドを保たなくてはいけないのに、乱れた思念で呼吸する度に何度も揺らぎそうになる。
次いでひどい耳鳴りがはじまり、キーンという不快な音がだんだん大きくなっていく。
そして僕を呼ぶハーレイの声も思念も、殆ど聴こえなくなった。
サイオンが、暴走を始めていた。
身体全体から、人間に忌み恐れられた「タイプブルー」の青い炎が立ちのぼる。
もう、自分のコントロールが効かない。
次の瞬間、僕の身体から青白い光が一気に噴き出し、同時に空間を裂くような稲妻が視界のすべてを覆い目の前に落ちた。
何が起きたのかわからなかった。
反射的にゆるゆると顔を上げる。
広い部屋のつきあたり、壁から二本の大きく鋭利な棒が、僕を真っ直ぐに指しているのが目に映った。
さっきまで、あんなものはなかった。
更に上方にかすれた文字を見つけ、僕はそれをゆっくりと目で追った。
『CAUTION −HEAT RAYS DISPOSAL ZONE (熱光線廃棄地帯)−』
この部屋は「何もなかった」のではなく、物質を「無に還す」場所なのだ。
棄てられてもなお、光エネルギーで半永久的に動き続ける機関。
僕たちの船も宇宙ステーションも、ほとんどの主要装置はそう設計されている。
おそらくすべての役目を終えてから永い眠りについていたのだろう。
だが、僕という異物によってそれは目覚めた。
サイオンバーストとほぼ同時に雷を放ったであろう対の雷槍は、真空で音もなく火花を煌めかせていた。
ここにいてはいけない。出口か非常用停止装置をみつけなくては。
それでもクラックから外に出ることはまったく頭になかった。
何もなかったような顔をして話すにはまだ時間が足りない。
僕にとっては、目前の生命の危機よりもハーレイに拒まれることの方が、彼を失うことが何よりも怖かった。
(続く)
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