Still I'm With You -1-

 

雲海に浮かぶシャングリラには、季節というものがない。

育英都市でも、実際にはマザーコンピュータによってプログラムされた人工太陽と高低気圧によって天候が作られているので、
厳密にはすべての人類にとってもはや本来の季節そのものが存在していなかった。

だからこそヒルマンは、古の人々が大切にしていた年中行事を丁寧に調べ上げ、その中から子どもたちの教育にふさわしいとおもわれるものを
なるべく忠実なかたちで暦通りに実施していた。

感情をマザーコンピュータに支配されていないミュウだからこそ、常に隠遁を強いられる不自由な生活の中でも人間としてのこころの豊かさだけは
充実させてやりたいという願いからだ。

 

かつて地球には、国家というものが数百を超えて在り、話す言葉も違えば同じ年中行事でもまったく別の意味や風習であることが常だった。
国を隔てるのは僅かな海洋と、目には見えない国境という名の線。

それでよくもここまで−−−−歴史としては大いに興味深い史実も、その中のどれを選択するかはヒルマンをよく悩ませた。

まず新年−−−ニューイヤーが大きく分けて2つある。太陽暦と、太陰暦だ。
それぞれ太陽とテラの衛星である月を元に作られた暦だが、ヒルマンは前者を採用した。
しかし太陰暦の正月がなくなってしまうと、2月にあたる時期の年中行事はなくなってしまうのだった。

ヒルマンは、ぱらぱらと人類にとっては禁忌にあたる古の歴史書をめくってみる。
2月の行事もあるにはあるのだが、これをどこの国の内容で実施するかを考えていたのだった。
厳かな国もあれば、恋人同士が愛を囁き菓子や品物を送る国もある。
シャングリラの食料事情、プレゼントをもらえなかった者の気持ち、そして男女の比率を総合的に考えた結果、
ヒルマンは前者を選択した。

2月14日。
若き恋人同士の愛の誓いを護る為だけに、自らのいのちを賭して殉教した聖者の命日とされている 。
聖ヴァレンタイン司教について語るには、かつてテラに広く流布していた宗教の歴史から紐解いていかなくてはなるまい。
子どもたちには少し難しい話になってしまうかもしれないが。

しかし、ヒルマンの脳裏には自分たちを統べる指導者ソルジャーブルーの姿が浮かんでいた。
我々ミュウの為に、己のすべてを捧げ戦う唯一無比の戦士 。

2人は全く違う境遇なのに、漂う宿命の哀しさがどこか重なる気がしてヒルマンの胸は痛んだ。

 

 

「……以上で、バレンタインデーの説明は終りです。少し難しい話だったとおもうけれど。
ここに今生きているということ、大切なひとに自分のおもいを伝えられる自由があることに感謝出来るようになってほしい 」

子どもたちは、ヒルマンの予想に反してかなり真剣に話を聴いてくれた。また、理解度も想像以上だった。
苦労して調べまとめた甲斐があったとほっと胸を撫で下ろす。

「先生!僕たちも今のおもいを誰かに伝えたいです!」
やんちゃなキムが、真剣な表情で手を上げて言った。小さな顔は、興奮と感動で真っ赤だった。
行事としてはたしかに消化不良ぎみな部分があるだけに、ヒルマンは子どもたちに提案を出した。

「そうだね。じゃあみんなで感謝の気持ちを言葉に込めて贈りあってみようか。
かたちは、どんなものでも構わない。手紙でも、思念でも、直接言葉で伝えてもいいよ。
君たちの素直なおもいを、お互いに伝えあおう」

子どもたちはさっそく行動を起こした。
キムはストレートに言葉にする。

「ヒルマン先生、いつも僕たちに色々なことを教えてくれてありがとう。聖ヴァレンタイン司教に誓います。
この永遠の愛を」
後半部分は若者たちの愛の誓い文句であって、私に永遠の愛を囁く必要はないのだが……。
どうも、頭の中でごっちゃになっているらしい。
内心苦笑しながらも、自分に対して一番におもいを伝えてくれた彼の気持ちを裏切るようなことはしたくなかったヒルマンは、
微笑むと黙ってキムを抱きしめた。

「ありがとう、キム。私も君を愛しているよ。聖ヴァレンタイン司教に誓ってね」
キムは嬉しそうに目を細めた。

(続く)

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