何て 残酷なことを あなたは 言うの

 

 

『僕はもうすぐ燃え尽きる』

君の前から いなくなるんだ

 

それでも願った
共に在る未来を 一緒に地球へたどり着く日を

 

あなたが 深い眠りについた時は悲しかったけれど
毎日体温を確かめる度 それすら明日への希望に思えた

 

でもあなたは

 

想像を遥かに超えた死に様を僕の胸に焼き付けて散った
跡形もなく

 

 

あの綺麗な顔も
あの高貴な佇まいも
何よりも美しかったあの紅の虹彩も

 

 

永遠に失われたんだ―――――――

 

 

 


「Tell me -Jomy side-」

 

 

 


ソルジャーブルー。

マントとチュニックに包まれた彼の身体には、無数の痕があった。


刺傷、縫合痕、注射痕、皮下出血。

ミュウの医療技術をもってすれば、一見はあたかも何もないように見せかけることは可能だった。


それでも、彼は傷痕を隠すことはしなかった。

どうしてと訊ねた僕に、彼はあの儚げな微笑みをたたえて言った。

 

「ジョミー、身体の痕を隠しても、僕のこころの傷は消せない。癒えることのない痛みを抱いてテラへたどり着く。
それが、失った仲間たちに僕ができる唯一のことだから」
と。

ミュウになってからのできごとは、すべて正確に記憶しているのだと彼は言った。
ならば、そこまで自分を痛めなくても。仲間を忘れることもないのだから、もう少し自分の身体を大切にして。

あと少しで口に出そうとして、止めた。
彼が、また悲しそうに笑うのが想像できたから。

 

今ならわかる。
何故、彼が痕を消さなかったのかも。

それは、生きた証。
彼が、そして散った同胞が刻んだいのちの軌跡。

どんなに辛くても。残された者はその先を生きていかなくてはならないのだ。

 


そのために必要だった。
それだけしか、触れることのできる証を自身には残せなかったから。

 

あなたは、命を懸けて僕を護ってくれた。
でも、僕の身体には何も残してはくれなかったね。

あなたが護ってくれた傷ひとつない皮膚の下で。
僕のこころは血と涙に濡れている。

もう、その半分は死んでしまった。

 

 


アタラクシアであなたが見せてくれたサイオンドリーム。

気が狂いそうなほどの苦痛、気がふれ死にゆく仲間たち。
どうして僕はここにいる?なぜこんな目に遭ってまで生きている?という悲しい問いかけ。
言葉にできないほど残酷な、いのちが、星が死ぬ瞬間を僕は見た。

あなたは僕に未来を託し、そのまま力尽き堕ちていった。
僕は、目の前で燃え尽きようとするあなたに必死ですがりついた。
そして手を触れた瞬間、あなたの遮蔽していたこころが流れ込んできたんだ。

 


常に仲間の前に立ちながら、深い悲しみと絶望、そして恐れは自分の胸一つにしまい込んで歩み続けた姿。
心の中の、細く美しい稜線は細やかに震えている。折れそうな腕を、必死に伸ばしながら。それでもあなたは一歩も引かない。
背には、多くのミュウと母船シャングリラを庇って。

 

薄れゆく意識の中で、くり返し、くり返し僕に詫びて。

これで終わる。僕が燃え尽きる。ジョミー。すまない。君を選んですまない。僕は…


「生きて」

 

今までで一番、強く。強く願った。
このひとを、悲しみの記憶でしか生きてこなかったひとを連れて行かないで。
僕が、このひとの悲しみをやわらげるから。
誰かのためだけに、こんな身体になるまで戦い続けたひと。
こんなひとを僕は知らない。
こんな風に生きてきたひとを知らない。

 

自分の身体をちぎって与え続けて、最後はぼろぼろになって壊れてしまう。
あなたはまるで、マムが読んでくれた「幸福の王子」のようだ。

彼のこころは天国へ向かったけど。
ぼくはあなたのことを天国なんていかせない。
ここにいて。約束して。
どこにもいかないで。

 

だけどひとつもいえなかった。

言葉にすれば、その瞬間にあなたが消えてしまいそうで。

 

 


それでも、あなたは生きてくれた。
思うように動かない身体を、僕に悟られないようにと気遣いながら。
あなたのおもいはとてもあたたかくて、不安と悲しみでいっぱいだった僕を、包んでくれた。

 

あなたの意識が深い眠りにつくその刹那まで、ずっとそのぬくもりを感じていた。
それからは、あなたが目を覚ます日を信じて待った。
僕が地球へ連れて行く日には、きっと目覚めてくれると。
それでも現実はひとつも思うようにはいかなくて。

 

 

あれから15年。
迷う僕のこころが、弱さが、ナスカの地を紅蓮の炎に染めてしまった。

 

 

あなたは突然目覚めた。
そして星をも殺す地獄の劫火を二度と起こさせないために。
自らのいのちと身体を燃やして、ソルジャーブルーはナスカと共に散った。

 

 

頑なに「僕はもうソルジャーじゃない」といったひと。
僕を後継者にしたからには、という強い意思表示。
それこそが、あなたが皆を導き護るものだから出る言葉だったのに。

ソルジャーでないなら、皆を導き護るものでないなら、何故1人でメギドを止めに行ったのか。


僕との約束も、果たさずに。

 

 

青の間でフィシスから渡された補聴器。
記憶装置だと知ったのはその時だった。
そっと身につけると、あなたの匂いがした。


静かに、静かにあなたの声がよみがえる。


ヒルマンから習ったミュウの歴史。
人類と戦った際の戦術、向こうの装備、開発中だった対サイオンシールドの素材のデータ。
アタラクシアを脱出して後、意識が途切れるその刹那までの、コンピュータのデータのように詳細に羅列されたソルジャーブルーとしての記録。

 

僕の隣で静かに泣いていたフィシスは、そっと青の間を出て行った。
僕の耳元では、規則的に穏やかにあなたの声が流れ続けている。

あれほど聴きたかった声が、こんなに悲しくて遠いのは何故?

 

あなたは僕に、なにも命令しなかった。
ただひとつ、ミュウの勝利はひとりでも多くの仲間が生き残ることだと最後に言っただけ。
そして、皆を頼むと。

 


すべてを、僕の意思でと。

だからアタラクシアへ向かうことを決めた。
あの出会いの地から、ミュウの戦いがはじまる。
もうどこにも逃げることは許されない。

これ以上、悲劇の輪廻を続けないために。
生まれ来る仲間を見殺しにしないために。
マザーシステムを破壊し、そして地球の喉もとへとたどり着くために。

 

頬を止めどなく流れ落ちる涙。
人間は、すべて出し尽くすと二度と涙が出なくなるのだと聞いた。
僕もそうなりたいと、心から願う。
どれだけ泣いても、あなたはもう戻らないのだから。失われたナスカも、仲間のいのちも永遠に。

吐くまで、身体からすべての水分がなくなるまで。
涙と共に、別れも死も悼むことも許されないこの身からすべてのおもいを捨ててしまいたい。

そうしなければ、僕はソルジャーとして己を捨てて生きてはいけない。

 

 


どのくらい時間が経ったのだろう。
涙はすっかり渇いて、瞼だけが気だるい熱を孕んでいた。

ブリッジに戻らなくてはいけない。僕の理性が頭の中で言う。
こころと身体が、ばらばらになったみたいだった。

 


望みは、叶っただろうか。
涙は、涸れただろうか。

僕のおもいも、一緒に涸れてくれただろうか。

 

 


それでも。
どうしても知りたいことがあった。
僕の心に、最後にたったひとつだけ刻みたいおもいがあった。


強いシールドを張り、僕は彼を呼んだ。

 

 


「どうしましたソルジャーシン?」


青の間に現われた彼の表情は、いつになく厳しいものだった。
悲しんでいるような、怒っているような。無理もない。

 

「ハーレイ。聞きたいことがある」

「私にわかることなら…」

「ブルーの記憶装置のことだ」

ブルーという言葉を聞いて、彼の目に一瞬光が宿ったのを僕は見た。
このひとは、ブルーを…ソルジャーブルーと呼びながら、ブルー個人を思っていたのだ。
どんなときでも。

 

「ここには、彼のソルジャーとしての300年余りの記録が詰まっている。
アルタミラのこと、対サイオン兵器との戦い方、ミュウの歩み…そして、あなたたち5長老のこと」

「そうですか…ソルジャーブルーは配慮の行き届いた方でしたから。
このような事態をどこかで想定して…あなたのためにそれを残したのでしょう」

 

本気でそう思っているのだろうか。この事態を考えて彼が遺したものだと?
胸の中に静かな怒りが広がる。

 

「…僕が聞きたいのは…僕があなたに聞きたいのはそんなことではない!」


思わず感情的な声になってしまった僕の顔をハーレイが見返した。


「ソルジャーシン?」

「ここには…ソルジャーとしてのブルーしか、記録されていない。
彼がどんなおもいでこれを記録したのか、どんな人生を歩んできたのか。何一つ…彼自身のおもいがない」


浅黒い顔が、薄暗いこの部屋でも羊皮紙のように白くなるのがわかった。

「…ジョミー」


ハーレイが僕の名を呼んだ。彼から、そう言われなくなって久しかった。
きっと、だれからもその名で呼ばれることはほとんどなくなるだろう。
しかしそんなことはどうでもよかった。

「僕はこれから…ソルジャーとして、ミュウの長としてのみ生きるだろう。そうブルーのように」


ハーレイは、黙って僕の言葉を聞いている。敢えて、彼の顔は見ないで話を続けた。

「ここに…彼のおもいが残されていないということは、長としての覚悟を引き受け生きろというメッセージだと。
そう僕は受け止める」

 

「あなたはそこまで…」


まるで泣いているような、低くうめくような声で彼がつぶやいたのが聞こえた。

「ただ…ひとつだけ聞きたかった」


僕は、うつむいたハーレイに視線を向けた。
その動きにあわせて、彼が顔を上げる。

 

「もう誰のためにも涙は流さないと決めたから…だから、これが最後ですハーレイ」

ジョミー・マーキス・シンとしての最後の望みを。

 

 


「ブルーの、彼の14歳までの記憶を何か教えてほしい」

あのときブルーは、僕の記憶を命をかけて守ってくれた。
記憶を手放すな、と言ってくれた。

 

 

『あなたのことを教えてくれますか?』

『いつか はなしてあげる』

 

 


「いつか…の約束は、永遠に失われてしまった。でもあなたなら知っているはずだ。
僕は、彼自身のおもいを、せめてしあわせだった彼の記憶を抱いて生きていきたい」

 

ハーレイの表情がなくなった。


僕は、予想しなかった彼の反応に少し戸惑いながらも、次の言葉を待った。

 

彼はきつく目を閉じ、しばらくの間考えていた。
やがて視線を僕に合わせると、静かに言った。

 

「…ソルジャーブルーには、成人検査以前の記憶はありませんでした」

僕はその場で凍りついた。記憶が…ない?

 

 

「彼は成人検査中にミュウとして覚醒しました。以来、気の遠くなるような歳月、何回、何千回も人体実験を受けてきたのです。
その間に…おそらくわずかに覚えていた両親のことやおもいでも、無くしてしまったのです。私が彼に会ったときにはもう何も」

 

顔から血の気が引いていくのを感じる。静脈の音が聞こえるんじゃないかとおもうぐらいに。

「そんな…」


ハーレイの暗く光るまなざしが、僕の表情を映しているようだった。


「だからこそ、あなたの記憶を守りたかったのでしょう…失う悲しみは自分だけでよいと」

目から溢れるものを止めることが出来ない。さっきあれほど泣いたのに。どこからこの水は出てくるのか。


からからに乾いた唇から、ことばが勝手に漏れた。

 

「そんなひどいことって…ないよ…」

 

 

 

 

いつか、なんて最初からなかったんだ。

 

 

何も知らない僕は、あんなにブルーに話をねだって。
どれだけ辛いおもいをさせたのだろう。
それでもあなたは…僕にやさしくて、残酷な嘘をついたんだ。

 

「僕の記憶…ぼくの家族…大切な…!ブルーは、ブルーはぼくにとって同じぐらい大切なのに!」

言葉が止められない。

「あのひとは…自分のために生きようとはしなかった!それに自分をおもうひとの気持ちなんて、これっぽっちも考えなかったんだ!」


ハーレイの目が濡れていた。いつでもブルーのためにこのシャングリラを動かしてきた唯一のひと。
決して皆の前で相好を崩すことはなかったけれど。行動のすべてが、物語っていた。

彼の目からこぼれるものはなくとも、こころが、涙であふれたおもいが伝わってくる。

 


自分たちを使命と役割に縛らなければ、当に精神が折れていただろう彼らの苦しみ。
僕は初めて、どれだけブルーが、ソルジャーが孤独だったのかを知った。

 

自分がソルジャーと呼ばれるようになってもうずいぶん経っていたのに、僕はそれに気づきもしなかったのだ。

たとえ眠りについていたのだとしても。
彼が、僕を護ってくれていたから。

「…ソルジャー…ブルー…!!」


あなたのおもいは、もうどこにもない。
僕に嘘だけを残して、あなたは逝ってしまった。

 

 

ならば、僕はあなたの意思を継ごう。ソルジャーとしてのおもいを継ごう。
このいのちを懸けて、必ず僕はテラへとたどり着く。

 

「僕は…あなたのためになにひとつ…何もできなかった。本当にソルジャーを継ぐことしか、僕にできることはないんだね…」

 

 

 

これからは泣いたりしない。あなたを悼んだりしない。
どんなに穢れようと。どんなに痛みを伴おうと。
僕は決して歩みを止めない。

 

 

だから今だけ。
もう少しだけ、泣かせて。
すべてが終わるその時まで。
涙も痛みもあなたを呼ぶ声も、僕の中に閉じ込めるから。

 

 

 

 

 


目の前で喘ぐように叫び、気がふれたように激しく嗚咽するミュウの長。
彼に伸ばそうとした手を、ハーレイは己の両脇でぐっと握りしめて耐えた。
その手に、血が滲んでもいとわぬほどに。

 

 

ジョミーにかけてやりたい言葉は、たしかにある。
しかし本当に彼が欲しいのは…ブルー、あなたの言葉とおもいだから。
それを私が補うことはできない。
私では彼の痛みや傷を癒すことなどできないのだから。
ひとは、だれの代わりにもなることはできない。

それはあなたが一番知っていたはずなのに。

 

 

 

私にはわかる。
何故あなたが、自分のおもいを記録しなかったのか。

 

あなたはジョミーに、これ以上悲しみを背負ってほしくなかった。
自分の過去がないことも、本当はどんなにか地球に行きたかったことも。
自身の悲しみまでは、彼に渡したくなかった。

 

でも、それは間違っていました。
彼の中では、あなたはソルジャーではなかったのです。
ジョミーは、とうにあなたという存在自身をまるごと受け入れていたのですよ?

 


気がつかなかったのですか?
あまりに他人のことばかり思いやっていたあなたは、与えることに慣れすぎて、自分が与えられている現実に気がつけなかったのですか?

 

 

彼の、深い、深い悲しみが今、このシャングリラを包んでいきます。
暗く…冷たく…後悔と怒りに満ちあふれた感情で。
あの陽だまりの様なやさしく強い思念の代わりに。

 

ジョミーはおそらく本当に決意したのです。
この涙が渇いたとき、彼は変わるでしょう。
でも、あなたの代わりにジョミーを見守ることはできない。

 


私との約束も破り、あなたは地球を見ることもなく一人で逝ってしまった。


だが私は、あなたの最期の願いを叶えましょう。
ジョミーを助け、必ず地球へ私たちのおもいを伝えることを。

 

 

 

 


やがて嗚咽は呻き声に変わり、唇は切れるほどに強く噛みしめて。
握りしめた拳を見つめる涙のでなくなった翠の瞳は、まるで何も映さない磨り硝子のように鈍く青の間で煌いた。

 

 

 


ねえソルジャーブルー。

届かぬおもいでも、僕はこころの中であなたを呼ぶよ。
何度でも、何度でも。

 

応えてくれなくていい。
僕はこれから、自分の手で、あなたのおもいを己に刻みつけていく。


あなたの護ってくれた身体がどんなに傷付いても。
この手が人の血に染まっても。
多くの屍の上に立つことになろうとも。


どうか、許してほしい。

それがあなたと僕を唯一繋ぐ絆だから。

 

 

 

 

顔を上げた僕の前には、当に感情をしまいこんだ彼の人の右腕が佇んでいた。


「…行こうハーレイ」

一瞬眩しそうに目を細めた彼は、力強く頷くと、僕の少し後ろを付いて歩き出した。


「先にブリッジへ戻ってくれ。僕もフィシスを連れてすぐに行く」


「はいソルジャーシン」

 

 

この身体が果てるその日まで。
僕はあなたを呼ぶだろう。

 

 

本当の闘いは、まだ始まったばかりだ。

 

(終)

 

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