proof of destiny

 

音もなく開いた青の間の入口から、ハーレイは心持ち早足でスロープを上っていく。
時計はないが、約束の時間を過ぎていることは確かだった。

人類軍の追手をワープで振り切ったのはまだ小一時間前だというのに、この部屋は何もかもまるで時が止まっていたかのようだ。
外界とはサイオンに関しては完全に閉ざされた空間。部屋を満たす空気は、人の熱をこもらせることはない。
この10年間、青の間から人間が居なくなったことは一度もないというのに。

上り切った先で、ハーレイを認めて立ち上がる人影があった。


「キャプテン!もうブリッジは大丈夫なのですか?」
「待たせてすまない。多忙な身の上はお互い様なのに」

あなたほどではありませんよと、ドクターノルディは微笑んだ。


今回の戦闘では、船体に一発被弾はしたが怪我人はでなかった。だから彼もこうして青の間にやって来れたのだった。


「ではさっそく始めようか」

挨拶もそこそこに、ハーレイはベッド脇の椅子にマントと上衣を手早く脱いで掛けた。下履も続いて脱ぐ。補聴器も外した。
左耳の聴力はあるので、至近距離での会話ならば問題なかった。
太腿まで被うスパッツ一枚の姿になるまでの間に、ノルディは眠り続けるソルジャーブルーの毛布をそっとめくり、脈拍を確認する。
そしてそのまま壊れ物を扱うように慎重に両の手袋を外していった。


「体温は先ほど測りました。相変わらず低い…生命維持ギリギリのラインです」
「そうか。他に何か変化は?」
ブーツを脱がしながらハーレイは尋ねる。
「いえ…よくも悪くも変調は見られません」


現れた真っ白な足先を、そっと握りこんだ。末端は特に血の巡りが悪く、その冷たさと筋肉の強ばりにおもわず呻くような声が口をついた。
だがすぐに気を取り直すと、柔らかく優しく両手で甲を包み込んで揉んだ。
少しずつハーレイの手からブルーの足に熱が移っていき、筋肉の固さが弛んでいく。
ノルディは手の指を一本ずつ丁寧にマッサージしている。二人がブルーの四肢に全て施し終える頃には、先ほどまで人形のように蒼白だったブルーの頬にほんのりと赤みが差していた。
末端神経に対する刺激による生理的な体温上昇だと分かっていても、それに応える力がブルーに残っていることはいつも二人を勇気づけた。


次にブルーのマントとチュニックを脱がせ、アンダースーツ姿になったブルーをハーレイはそっと抱き上げる。
軽く華奢な体躯。この10年の間に、更に少しずつ細くなっていった。
アルタミラで倒れたブルーを抱き止めた時、あまりの軽さに驚いたが―――あの時のブルーの身体はまだ幼い少年のものだった。
今は違う。だが軽さは恐ろしいほど近づいて来ていた。
ノルディが自分を見上げる視線に我にかえり、ハーレイはブルーを抱えたままゆっくりとスロープを下りはじめた。
隣を歩くノルディの表情は、何かおもい詰めているように堅い。

「何か悩み事でも…?私でよければ力になるが」
ハーレイの問いかけに、ノルディは力なく首を横に振った。
「いえ、大丈夫です。ご心配かけてすみません」


ハーレイはそれ以上無理に問いただそうとはしなかった。
ソルジャーブルーのことかもしれないし、今メディカルルームに入院している戦闘セクションの2人の意識回復が難しいということかもしれない。
ハーレイは時間の許す限り彼らを見舞ってはいるが、かける言葉にも思念にも応えはなかった。


背後から狙われたソルジャーシンを庇って、敵の駆逐艦との間に盾として入り込んだギブリに彼らは搭乗していた。
すぐさまソルジャーが反撃し、機体はシャングリラに回収されたのだが――虚弱なミュウが受けた身体及び精神的ダメージは、彼らの神経を破壊した。

人間の脳神経細胞ならば、一度死んでしまえばもう再生は望めない。
しかし彼らはミュウだ。ハーレイはその回復力を信じていた。
自らの力が及ばず守りきれなかったソルジャーシンを、身を呈して救ってくれた勇敢で大切な部下だ。
たとえ全てのミュウが諦めたとしても、自分は決して諦めたりはしない。


代われるものならば代わってやりたい。
戦闘後に泣きながらソルジャーシンはそう呟いた。
僕よりも年下のミュウだったと。人目をはばからず涙をこぼすその肩に、ハーレイは手を掛けることしかできなかった。

自分とて同じ気持ちだ。しかし、彼も己もそれを願うことすら許される立場ではない。


かけがえのないたった一つのいのちを宿した存在でありながら、人は誰かを守るために自らを犠牲にする生き方を選ぶことがある。
ソルジャーシンもハーレイも、多くの同胞そしてミュウの未来を守るためにいのちを懸けて戦っている。
そして、今この腕の中に眠る唯一無比の戦士こそが、自分たちを守るためだけに全てを差し出したミュウの光だった。

その輝きが弱くなっていく様を、ずっと傍らで見つめていた。彼を守るためにいのちを懸けてきた。
しかし後継者であるジョミーを見つけそのおもいを託したソルジャーブルーは…いつしか深い眠りから目覚めることがなくなった。


寝返りすらうたない身体は、頻繁に角度を変えなくては強ばりうっ血してしまう。
今はフィシスが定期的にその役をこなしてくれている。
盲目で細腕な彼女にとってはかなりの労力を必要とするが、それを引き受けたいと進言してくれたときハーレイはこころから有難いとおもった。
たとえ眠りについていたとしても、ソルジャーブルーにとって彼女と過ごせる時間は大切なものだとおもうからだ。


そして自分は…フィシスには決して頼めないことをノルディとしている。そう、ソルジャーブルー自身のためにも。


スロープを下りきったところには、青の間専用のバスルームがある。
ノルディが先に用意してくれていた湯の蒸気で、部屋は既に温まっていた。
ブルーの着衣に手を掛けたときに、彼はようやく重い口を開いた。


「キャプテン、ソルジャーブルーの入浴は私たち医療セクションに任せてもらえませんか?」
その言葉にハーレイは手を止め彼の顔を見返した。


「何故?」
「あなたはここ数年まともに睡眠を取っていない。
ソルジャーブルーのことを痩せてきたと言っていたが、ご自身も随分と痩せてしまったのですよ…これ以上無理を重ねて欲しくないのです。
医師としても、あなたの友人としても」


ふと見下ろした自分の身体は、確かに以前よりも貧弱な様子に見えた。
彼の自分を案じる真っ直ぐなおもいに、胸が熱くなる。しかしハーレイはかぶりを振って答えた。


「ノルディ。君の気持ちは嬉しい。だがソルジャーブルーの身体を私は他の者に晒したくはないのだよ」
そうして、ゆっくりと紅玉のついたジッパーを開いた。

現れたのは十字に裂かれ引き吊れた大きく白い傷跡。色素沈着し変色した浅黒い皮膚。おびただしい縫合痕。
何度見ても慣れることはない。喉元にせり上がる感情をぐっと飲み込んだ。ゆっくりと片腕ずつ袖を抜いていく。


「彼は私たちのために…この身一つに苦しみを…痛みを…閉じ込めてきた。
だから彼の意識が戻るまでは…その意思とこの船を守るのが私の役目なのです」


黒いアンダー下の胴部は、ほぼ傷痕で埋めつくされていた。
決してうつむなかったソルジャーとしての強さ――それがどれほどの負荷を肉体に強いてきたのかを、彼は誰にも知られたくないとおもっていたから。
ソルジャー服の下にしっかりと着込んだアンダースーツは、身を守りそして隠すためのものだったから。

 

ある時の救出作戦中に、ソルジャーブルーが負傷したことにモニタを見ていてハーレイは気付いた。
しかし帰還後、彼は医療セクションにもブリッジにも姿を見せなかった。
所在を戦闘セクションへ問い合わせれば、既に青の間に戻ったという。ハーレイは急いで彼の元へと向かった。


音もなく扉は開き、足を踏み入れた途端にバスルームからの湯気と匂いに包まれる。
開け放たれた浴室には、マントとチュニックを脱ぎ捨てたブルーがこちらに背を向けて立っていた。
予想通り、床に落ちた服には鮮血が散っている。


なぜ怪我をしたことを私たちに隠すのですか?
心配な気持ちに打ち明けてくれなかった彼への苛立ちが交じり、少し非難めいた口調になる。
だがハーレイに背を向けたまま、アンダーのジッパーを引き下ろすと彼は答えた。


「この傷痕に恐怖や悲しみを感じたとしても、安堵する者はいないだろう?」
みんなに余計な不安を与えたくはないんだ。僕はタイプブルー、ミュウの長なのだから。
そう言って微笑んだブルーの横顔はいつもより少し青白くて。
そのままアンダーも脱ぎ捨てると、いきなり大きな湯船に身を沈め自身の血と汚れを洗い流していく。
傷口に染みるのか、小さな声を上げた。

 

 

ソルジャーブルー、傷に障ります。せめて止血するまでは―――

 

 


あの時彼が言った言葉。それをハーレイは忘れはしない。


アルタミラで受けたものより後の傷痕は、今の昏睡状態になるまでハーレイも見たことがなかったものだ。
痕の上から更に刻まれた傷。もう痛みは感じてはいないだろうが、なるべくそこには触れぬようにしてハーレイはブルーを抱えたまま湯船に足を入れた。
ブルーの半身を湯にひたした所で、無言でノルディがそっと手桶で身体に湯をかけていく。
少しずつ血の巡りが良くなり薄紅色に染まるブルーの肌には、すべての傷痕がくっきりと浮かび上がっていた。

 


『ハーレイ。揺れる水面の上からは…僕の傷は殆ど見えない。今だけは…こうしている時だけは…僕はそれを考えないでいられるんだ――』

 


あの日のブルーの声が頭に響く。
今度は、ブルーを肩までそっと湯に浸からせた。
ゆらゆらと揺れる水面。赤みの増した白磁の頬に、汗だくになりながらも二人はほっとした。


身体の痕は消さないと言った。全ての痛みと記憶を抱いてテラへと辿り着くのだと。
皆を導き守る戦士として生きることを決意した時から、彼は常に前だけを向き矢面に立ち戦い続けてきた。
それでもソルジャーとして己すら捨て生きるブルーにとって、時に刻印は肉体も精神をも蝕んでいくものだったのだ。


だから彼が安らぎを感じることができるのならば、たとえ意識がなくともその習慣を続けてやりたい。
何を犠牲にしてもそれを守りたい。
彼が選んだ、そして我々ミュウが背負わせた運命の証が、つかの間でも見えなくなるように。
ソルジャーブルーのこころと身体が、これ以上決して痛まないように。
ハーレイは、抱えた身体をそっと湯の中で揺らした。


ブルーに視線を落としたまま、ノルディが呟いた。

「ひとの手には…傷を癒す力があるといいます。そう、手当てという言葉の語源にもなっている」
ハーレイは彼の横顔を見やった。


「私は医師です。だから決して現実から…目の前の患者の身体から目をそらしてはならない。そう信じて生きてきました。
だが、私はミュウでもある。祈りで、おもいで全てを動かすミュウなのだから―――信じます。あなたと一緒に奇蹟を」

彼を案じるあなたのこころが、きっとソルジャーブルーをこの眠りから引き上げる日が来ることを。


「今日からは…フレッドとアッシュにも、もっと手を触れながら話しかけてみます」
ノルディの言葉にハーレイは微笑んだ。
「ああ。名医の君の手当てなら随分と効きそうだ」

今だ眠りから覚めぬ自分の部下の回復を、ノルディが共に信じてくれたことがハーレイには何よりも嬉しかった。


湯あみが終わり元通りに新しいソルジャー服を着せると、血色のよくなったブルーは今にも目を開くのではないかとおもえるほどで。
「ソルジャーブルー」
元通りにブランケットを掛けながら、ハーレイは必ず名を呼ぶ。
そして日課の最後には、またこの部屋を訪れ一日の報告をするのだ。

 

 


今だ地球の座標も知れず、若きソルジャーシンにも否応なしに日々疲れと責任が積もっていっている。
しかし彼はその若さと強さ、そして何よりも多くの同胞の愛情に包まれて明るく健やかに成長していく。

ソルジャーブルー…あなたが見つけたミュウの光は、とても温かくて眩しい。
このシャングリラすべてを包み込みなお輝きを放つ―――そう、まるで輝く太陽のように。


だから安心して下さい。
疲れきった身体を充分休めたら、今度はジョミーと一緒にテラを目指しましょう。
彼はあなたを――彼は私たちを必ずテラへと連れて行ってくれる。


だからそれまでは。その時までは―――あなたとこの箱舟を、私がいのちを懸けて守ります―――

 


ハーレイからこぼれおちる思念の欠片。
やわらかな翠玉の照り返しにも似たその光は、青の間の暗がりへと降り積もっていく。
ノルディはその様子をただじっと見守っていた。


今まで何度も、ソルジャーブルーの身体には生命の危機が訪れた。しかし今は小康状態を保ったまま安定している。
おそらくこの光こそが、いのちを明日に繋ぐ祈りと言う名の奇蹟なのだろう。


そしてそっと胸に手を当てると、自らも祈りを捧げた。
奇蹟を、いのちの輝きがその光の上へ重なるようにと願いを込めて。

(終)

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